青い空に浮かぶ太陽。その照りつける日射しから逃げるように、そして姿を目にすれば我先にと駆け寄ってくる女の子達から逃げるように、人目につきにくい裏庭の校舎の陰で、壁にもたれかかって空を見上げていた。時折思い出したようにパンを頬張っては、下りそうになる瞼を阻止する。とにかく穏やかで、気を抜けば寝てしまいそうだった。 「すみません、ここなんですけど……どこで解き方を間違えてるのかわからなくて」 「どれ? んー……てかちゃん、この値どっから引っ張ってきた?」 「この公式ですけど……」 「あぁ違う違う。この場合はこっちの公式を使うんだ」 そしてオレのすぐ隣では、頭が痛くなるような会話がなされていて、これまた眠気を誘ってくれる。小難しい話はまるで子守唄だ。あぁ眠い。 「あっ、なるほど。ありがとうございます。黄瀬君! 解けたよ! あのね、ここの公式は……」 半分落ちかけて気持ちよくなってたのに、肩を揺すられ引き戻された。ノートを広げて指で追いながら説明を始めてくれた彼女に、それはよかったっスねとスルーするつもりで返すと、ムッとされてしまう。けど、ムッとしたいのはオレの方だ。 「もう黄瀬君、聞く気あるの? 黄瀬君もここわかんないって言ってたじゃない」 「ここっつーか、全体的にわかんねぇし。つか昼休みなんだから、そーゆーのやめない? 全力で休まない?」 「せっかく森山さんが教えてくれるって言ってくれてるのに。よくないよ? そーゆー態度」 「なら二人でやればどうっスか? ね、森山センパイ」 ムッとする彼女を追い越して森山センパイにウインクを送ると、バカなこと言うなと言いたげな目をされた。顔を赤くしてテンパってるセンパイに、こりゃダメだと内心で苦笑う。 とまぁ、そんな感じで今、オレのすぐ側にはクラスメートであるサンと森山センパイがいる。昼休みにここで集まって過ごすことがここ一ヶ月ほどは続いていて、それはすっかりオレの生活の一部となってしまった。なんでこんなことになっているのかというと、始まりは一ヶ月前の放課後まで遡る。 部活を終え、いつものように部室で着替えていると、森山センパイが声を掛けてきた。何スか? と着替えの手を止めずに返したが、森山センパイは、なぜか顔を俯かせたまま口を開かない。耳もなぜか赤くて、しかも若干肩が震えてる。何なのちょっと気持ち悪いとか思ってたら、森山センパイはガバッと顔を上げて、叫んだ。 『て、天使と出会ったんだ……!』 あぁ、ついにそこまで達したか。開けちゃならない扉を開けちゃいましたか。 聞いた直後はドン引きしながら堂々とそんな失礼なことを思ったんだけど、どうやら違ったようで。好きな子ができたらしい。しかもその子はオレのクラスメートらしく、何とか仲を取り持って欲しいということだった。 サン。照れ臭そうに名前を言われたが、正直まったく思い出せなかった。クラスにそんな子いたかなと呟くと、本人が言っていたから間違いないと力説される。委員会で一緒らしい彼女とその日初めて話して、それで一気に落とされたとか何とか。 『とにかく笑顔が可愛いんだ! それこそ天使の微笑みなんだよ! その彼女を知らないなんて……あ、いや、知らなくていい! お前は知らなくていいぞ黄瀬!』 一人で盛り上がる森山センパイに、やっぱりオレは苦笑いだ。いや、顔知んなかったらキューピット役なんてできないでしょうと思いながらも、そこまで森山センパイを惹き付けた天使の微笑みにはちょっとだけ興味が湧いた。 翌日、教室で探してみると、ホントにいた。森山センパイの妄想でも何でもなく、サンは存在していた。ただ、地味なフツーの子で、どのへん天使? と思ったのが本音だった。だって同じクラスにいて気づかないとか。黒子っち並の影の薄さか、目に留まらないほど地味かのどっちかだ。この場合は後者。 でもまぁいたにはいたし、休み時間に森山センパイの教室を訪ねて、キューピットになってあげるっスと承諾。森山センパイは目を輝かせて、黄瀬お前イイ奴だなと感謝の言葉を並べていた。 別にオレが手を貸すことじゃないし、巻き込まれて面倒なことになるのは御免だとも思ったけど、そんな森山センパイを見たら悪い気はしなかった。ただ純粋に、オレを頼ってくれたことが嬉しかったのかもしれない。いろいろと残念な人ではあるが、人としてオレは森山センパイが好きで、センパイとしても尊敬している。この人が喜んでくれるのならまぁいいかと結論づけて、森山センパイリア充計画は幕を上げたのだった。 上げた、んだけど。 「森山さん、食べます?」 「ありがとう。美味いよな、イチゴ」 「ですよね。一番好きな味なんです。あっ、でも抹茶も捨てがたいんですよね」 「ホワイトムース味……だったかな。あれも美味かったよ」 オレの協力のもと、こうして一緒に昼食をとる仲にはなったものの、そこから進展はなし。だいたいはさっきみたいに勉強してたり、今みたいにスゲーどうでもいい話をしておしまいだ。いやまぁポッキーごときで盛り上がれるのも逆にすごいんだけど。 こうしてキューピット役を勤めるようになってからわかったのは、森山センパイがかなりの奥手だったということ。今まで散々いろんな女の子見て可愛いだの、あの子のためにシュートをどうだの言ってたくせに、いざ本命ができるとどうしていいのかわからないらしい。おかしなことになっても困るから、予めグーグル先生とは縁を切れとも言ってあるので、さらにどうすればいいのかわからないようだ。オレが直接アドバイスしてみても、無理だそんなのできない死ぬと、真っ赤になって拒否る始末。おかげでちーっとも前に進まない。 「黄瀬君も食べない?」 「いいんスか? んじゃいただきまーす」 けど、不思議と今が心地よかったりもして。こうしてポカポカ陽気の下、森山センパイとサンとダベってるのは嫌いじゃないのだ。 おかげさまでオレも彼女とはそれなりに仲良くなっていて、そうなれば彼女を好きになった森山センパイの気持ちも少しは理解できるようになった。天使とまではいかずとも、彼女の笑顔は確かに癒されるとは思う。別段可愛いってわけじゃないけど、見ていて気持ちが安らぐというか何というか、結構好きだなと。変に媚びない笑顔は、オレにとって結構貴重だったりもするから。オレに色目を使わない彼女は、そういう意味ではオレにとっても特別な女の子なのだ。 彼女は真っ白だ。人と付き合うに当たって、深く考えることをしない。もちろんそれは悪い意味じゃなくて、自然体なのだ。計算とかそういうことはせずに、ありのまま向き合っている。純粋って面では、確かに天使なのかもしれない。飾らない彼女は、自身ももちろん他人の外見にも執着はないようだし。 オレを見て、オレとこれだけの時間を過ごして、オレになびかない女の子がいるということに、単純に驚いていた。 「あっそうそう、サン、次の日曜ヒマっスか?」 唐突に口にしたオレに、森山センパイは何を言い出すんだとまたテンパる。いやだって、これはチャンスでしょ。 「日曜? 特に予定はないけど」 「ホント? ならさ、練習試合観に来ないっスか? 日曜にウチの学校であるから」 好きな女の子にときめいてもらうには、カッコイイ姿を見てもらうに限る。オレらにとって、それは当然バスケをやっている姿なのであって。ちょうど次の日曜にはウチの体育館で練習試合が入ってるし、これを使わない手はないと思うわけだ。 「オレらがバスケしてるとこ、見たことないよね?」 「うん。すごいって噂は聞いたことあるけど……いいの? 私なんかが行って邪魔にならない?」 「ならないならない。いっつもギャラリーに囲まれてやってるし。ね? 森山センパイ」 「それは主にお前が原因だけどな」 若干乗り気なサンの様子を見て腹を括ったのか、森山センパイは深くため息を吐いてからサンに向き直った。 「ちゃん、その……よかったらおいでよ。オレ達は試合があるからゆっくり相手はしてあげられないけど……」 「お邪魔でないのなら、喜んで。ぜひ応援に行かせてください」 ニコリと、サンが笑う。天使の微笑みに森山センパイは顔を赤くして、嬉しそうに笑った。 アレ? なんかいい雰囲気じゃん。あと一押しあれば、うまくいきそうな感じ? 「じゃあオレ、先に戻るな。次体育だから」 まだ赤い顔で手を振りながら、森山センパイが去っていく。その背中を見送るサンの表情は穏やかで、なんだかすごく優しい。 「黄瀬君、私達も戻ろうか」 「あ……うん。そうっスね」 なぜかその横顔から目が離せなくて、ぼんやりと見つめていたら、バチッと目が合ってしまった。その拍子に変に鼓動が跳ねて、それを誤魔化すようにサッと立ち上がって尻の砂埃を払う。 「黄瀬君」 「ん?」 きっとうまくいく。バスケやってたら、あの人もそれなりにカッコイイし。二人をくっ付けるのが目標なわけだから、それを達成できれば万々歳。 ……そのはずなんだけど、なんでだろう。なんか、つまんない。三人でいるの、気に入ってたからかな? 「森山さんっていい人だね」 ふわりと、彼女が笑う。癒しのはずの笑顔に、なぜか胸がザワついた。 * * * 練習試合は、何の問題もなく終了した。 それなりに強いと言われている相手だったが、こちらは頭からスタメンで挑んだために、力の差は歴然。危ない場面など少しもないままに圧勝した。 試合開始前、黄色い声を上げるギャラリーから少し外れた隅っこの方に彼女を見つけた森山センパイは、拳を握って小さく気合いを入れていた。お決まりの台詞が飛び出すかと思いきや、余計なことは何一つ口にはせず、真剣な面持ちで整列する。 本気になるとこうなるのかと、それをちょっとカッコイイなと思いつつも、なぜか穏やかでない心境。それに戸惑いを覚えつつ、パスを受け取りシュートを放った。 そこからはいつも通り。エースであるオレは誰よりも多く得点を稼ぎ、この容姿も相まって、誰よりも目立っていた。いつもと違うところといえば、彼女がここにいること。シュートを決めて戻りながら何度も彼女に目を向けたけど、一度も目は合わなかった。 彼女は、一度もオレを見なかった。 「森山、お前どこ行ってたんだ?」 相手校を見送って、そこから一年は片付けに入った。なんだかスッキリしない気持ちに苛立ちつつ用具を戻していると、笠松センパイの声が聞こえてきて首を捻る。少し顔を火照らせた森山センパイが、そこにいた。どうやら体育館を出ていたらしい。 「あ……いや、別に。何かあったか?」 「いや、用はねーんだが、帰りどっかで食ってかねぇかと思ってな」 「あー……悪い。オレパス」 付き合いのいい森山センパイが断りを入れたことが意外だったのか、笠松センパイは不思議そうに首を捻っていた。何か用事でもあんのか? と聞かれ、ちょっとなと返す森山センパイの顔は、やっぱり少し赤い。それに笠松センパイはワケわかんねぇという顔をしているが、オレにはわかってしまった。 いつもと違う森山センパイ。今日の練習試合がいつもと違う点は、一つ。 「オイ黄瀬、どこ行くんだ? メシ行かねーのか?」 「行きます行きます! すぐ戻りますから!」 気づけば、足が動き出していた。笠松センパイにいつものようにヘラヘラと笑って返して、体育館を出る。そして、駆け出した。張り付けていた笑みが、消える。 最近は、森山センパイが顔を赤くしてるのをよく見ていた。そんな時はいつも彼女が関係していたから、さっきいなかったのは、彼女に会いに行ってたからだ。 でもさっきの顔は、今まで見たものとは少し違った。照れ臭いというよりも、嬉しくて幸せで仕方ないという顔。その理由がわかってしまって、じっとしていられずに飛び出したのだ。 笠松センパイの誘いを森山センパイが断った理由には、多分彼女が関係している。となると、このあと彼女と会うか、一緒に帰る約束でもしてるんだ。いつでもオレに一声掛けて、彼女と二人きりになるのを避けていたのに、オレに黙って彼女と会う。その理由なんて、限られてくるじゃないか。 校門に、彼女の姿はなかった。となると、次に候補に上がるのはいつも昼休みに会ってた裏庭。舌を打って踵を返し、また駆け出す。 ふと、オレは何をやってるんだと冷静な考えが頭を過った。 だってそうだろ。オレは森山センパイから相談されて、二つ返事とは言わずともそれなりに良い返事を返した。サンの笑顔は好きだし、森山センパイと彼女がニコニコ笑い合って幸せそうに並んで歩けたらって、そんな未来が来るようにと願っていたんだ。 多分それはもうすぐそこまで来てる。オレの知らないところで森山センパイはうまくやって、それで二人はめでたく恋人同士か、そうでなくともその手前の関係にまでは発展しているはずだ。それをオレは願っていたじゃないか。 なら、この気持ちは何だ。腹の底で何かが蠢くような不快な感覚。この苛立ちは、その原因がわからないことからくるものなのだろうか。……それとも。 「……見つけた」 「黄瀬君?」 彼女は思った通りの場所にいた。校舎の壁にもたれかかって、オレンジ色の空を見上げていたのだ。 「試合、お疲れさま。やっぱりすごいね。いつも見てる姿とは違って、私びっくりしちゃった」 背中を壁から離して、彼女は微笑みながらオレに向き直った。いつも通りの笑顔に、ささくれだった心が少し癒されたような気がした。 「それより、どうかした? 随分急いで来たみたいだけど……」 「……別に。ただ、ちょっとサンと話したかっただけ。たまには二人で話すのもいいかな、とか」 何を言ってんだと、自分でも思った。そのためにオレは全力疾走してきたのか? いやそもそも、オレは何のために必死になって彼女を探していたのだろう。 「……そっか。なら、ちょうどいいかな。私も黄瀬君に話というか……報告しておきたいことがあって」 夕日のせいではなく頬を赤く染めた彼女を前に、静まったばかりの心がまたザワめき始めた。 彼女は変わらず笑っている。少し照れ臭そうに、でも幸せそうに。 ……違う。違うだろ。何だよその笑い方。アンタはそんな風には笑わない。オレはそんな笑顔、知らない。 「実はね、さっき森山さんに……その、お付き合いしてくれって言われて。それで、黄瀬君の話も森山さんから聞いたから、ちゃんと私の口からも言っておきたかったというか……」 あぁ、そう。やっぱそうだったんだ。オレの予想は当たってたってワケ。よかったね。どんな返事をしたのかは、アンタの顔を見りゃわかるよ。だからさ、報告なんていらねぇんスよ。つーか、 「私、森山さんと……っ!」 聞きたくねーよ。 「きせ……くん……?」 喜ばしいらしい報告を中断させられた彼女は、浮かべていた笑みを引きつらせた。そして、それを徐々に困惑したものに変えていく。 当然だ。好きでもない男に突然壁に体を押し付けられて、自由を奪われれば誰だってそうなる。 でも、それでよかった。その続きを聞かされることがないのなら、もう何だっていい。 恐怖すら滲ませた彼女の顔を間近に見て、今度はオレが笑みを浮かべた。 「……おかしいっスよ」 彼女に対してか、それとも自分に対してか。そんな台詞が零れて落ちた。 「なんでオレがこんな気持ちになんの? おかしいだろ。協力してたんだよオレは。森山センパイがさ、スゲー幸せそうにアンタの話を聞かせんだよ。それにちょっと呆れながらも、でもなんかオレまで幸せな気持ちになれるから、いっつも黙って付き合ってた。森山センパイさ、ホントにアンタのこと好きで、スッゲー真っ直ぐに想ってて、だからヘタれてばっかだったけど、オレ、あの人のそーゆートコ嫌いじゃないんスよ。だから何とかしてうまくいかせてやりたくて、ない頭使っていろいろ考えたり、アンタと過ごせるように手ぇ貸したりしてた。オレ、願ってたんだよ。アンタらがうまくいくの」 ほとんど息継ぎもしないまま、一気に吐き出した。頭に血が上って顔が火照って、自分でも何を言っているのか、何を伝えたいのかがわからない。 「それなのにさ、聞きたくねぇんスよ。認めたくない。何コレ。ワケわかんねぇ……」 掠れた声を絞り出すのと同時に、彼女の細い手首を拘束する手にも力がこもった。痛いと小さく声を上げながらも、彼女はオレを見ない。目も合わせない。 ただ怖くて混乱しているだけかもしれないが、それがひどく気に食わなかった。知らずと眉間に皺を寄せてしまう。 「おかしいんだよ……」 「……黄瀬くっ……やめっ……」 なんで? だっておかしいじゃん。 「あれだけ一緒にいて、なんでオレを見ない!? いっつも隣にいたのに、なんでアンタはオレを好きになんないの!?」 みんなオレを見てくれるのに! それなのになんでアンタは森山センパイばっかり! 好きになるどころか、意識すらしてもくれない! そんなのおかしい! オレなのに……アンタの目の前にいるの、黄瀬涼太なのに……! 「黄瀬君……?」 震えた声が、オレを呼んだ。 「何……言ってるの……?」 ハッと、目を見張った。 ……オレ、今何言った? 何言ってんの? おかしい。だってオレ、二人をくっ付けようとしてて、それなのに……。 「……おかしいよね、ホント。何言ってんだろ、オレ……」 自分を嘲るような笑いが零れた。頭に上っていた血も顔に集まっていた熱も一気に引いていって、冷静さが戻ってくる。 センパイの恋を応援してたくせに、それがうまくいったことを素直に喜べなかった。それどころかそれに激昂して彼女を一方的に責め立てるとか、ホントにどうかしてる。おかしいのはオレの方だ。 けど、おかげさまで理解した。この腹の底に燻る黒い感情の正体を。 ワケもわからず吐き出したものは、間違いなくオレの本心なんだ。 オレはただ、彼女が好きだったのだ。 「……ホント、なんでこうなったんだろ」 また、掠れた声が出た。彼女はやっぱりオレと目を合わせようとはしない。 オレの計画はどこで狂った? どこでおかしくなったんだ。 森山センパイの純粋な気持ちを、オレも純粋に応援してたんだ。だから彼女と関わりを持って、オレ伝いに二人が会える時間を作って、それで仲を深めてもらって……そう、今日だって、森山センパイの知らない一面を見れば彼女もときめくんじゃないかとか、そんなこと考えてたんだよ。でも彼女はオレなんか無視で森山センパイばっか見てて、それで森山センパイが覚悟決めて告って想いが通じて―― 「…………」 アレ? 計画通りじゃん。何も狂ってない。おかしくない。てか、おかしいのは途中に挟んだオレのことだろ。 『でも彼女はオレなんか無視で』 って、そこ関係ねぇよ。『でも』 って何だよ。 「……おかしいのは、やっぱオレか」 本心では期待していたんだ。だからさっき、それが言葉として出てしまった。 今日、オレが彼女を誘ったホントの理由は、そんな綺麗で優しいものじゃない。いつもと違うオレを見て欲しかった。そしてあわよくば、オレを好きになって欲しかったんだ。 狂っているとするのなら、それはオレだ。オレだけなのだ。 「こんなはずじゃなかったんスよ」 「……黄瀬君、あの、放してっ」 「でも……もうきっと軌道修正はできないっスね」 だって、認めてしまったから。こうなるから潜めていた本音を、キミが引き出すから。 「……すんません、森山センパイ」 「黄瀬君、いい加減にして」 「ごめんね、サン」 「もういいから! だから放して!」 「ねぇ、こっち向いてよ」 頭では理解してる。オレは今最低なことしてるって。大事なセンパイも大事なキミも傷つけてるんだって。 でも体が言うことをきかない。口が、手が、勝手に動く。 「サン…………」 涙目になった彼女が、驚いた顔をオレに向けた。 やっと……やっと視線が絡んだ。知らずと口許が緩む。 「ごめんね、好き。オレ、が好き」 「……ダ、ダメ。ごめんなさい。私は森山さんがっ……」 ごめん聞きたくない、その先は。 彼女の声を押し込めた唇は、強引な仕草とは裏腹に、少し震えていた。遠くに森山センパイの怒鳴り声を聞きながら、どこでオレは彼女に狂わされたのだろうと、そんなことを思っていた。 もとから赤い キミの笑顔が好きだった。きっともう、見られないのだろうけど。 (キミが笑ってくれたあの瞬間。最初から、きっとぜんぶおかしくなってた。) TITLE *不在証明 |