まるで、うっかり開いてしまったパンドラの箱を覗くように。
恐る恐る半分だけ顔を出しそこを覗く。足が微かに震えているのは気のせいじゃないと思う。懸命に目玉を動かして視線を泳がせていると、正体のわからない緊張が身体を支配していった。何人か見知った顔を順繰りに確認しては一息つく。そう、『彼』はここにはいない。それがはっきりとわかった時、身体から力が抜けていった。『彼』がいなくて安心したのか、ガッカリしたのかはわからない。それまでずっと騒がしかった胸は次第に鎮まり、活気ある体育館とは相まっての身体は急激に冷めていくのがわかる。しばらく用のない体育館を眺めていたが、ここにいる理由を見つけられず踵を返し階段を下りかけた時だった。

「君が一人でここに来るなんて、めずらしいね」

驚きとも歓迎とも言い難い、感情の読めない声色。弾かれるようにが顔を上げると視線がぶつかった。レンズ越しにを見つめる瞳も、やっぱり色はない。ただ真っ直ぐこちらを見据えている。彼を、月島のことをついさっきまで探していたのに、気まずい、そう感じてしまった。自分の中で感情を処理したつもりだが、顔に出てしまっていたのかもしれない。を見つめる彼のポーカーフェイスは簡単に崩れていく。

「そんなに僕に会いたくなかった?」
「ち、ちがうよ……!」
「それとも、他に目的がある……とか?」

月島の視線はを通り越していく。きっと彼は体育館の中を見ているのだろう。

「そ、それも違うって!わ、私……バレー部には月島君しか……知り合いいないもん……!」

なんでこんなにムキになって否定をしているんだろう。自分でもかあっと顔が熱くなるのがわかった。彼は真顔だった。「ふーん」とだけ言うと視線をこちらに返しを相変わらずじっと見つめてくる。居たたまれず、先に目を逸らしたのはの方。それじゃあ、と薄情な挨拶を残してさっさと退散してしまおうと思っていた。

「ちょっと付き合ってくれる」

心を読まれてしまったのか。の退路は自分よりも数十センチも背の高い彼の身体に阻まれる。驚いて思わず漏れた言葉にならない声が彼に聞こえたかはわからない。決して強くはない力で、月島はの腕を掴んで引いていく。振り払おうと思えばいつでも振り払えたのに、にはそれができなかった。あっという間に人目のつきにくい建物の陰に連れて行かれ、気づくと背中に無機質な堅いものが触れ、目の前には彼の顔が迫っていた。月島の顔が降りてこようとしている。背の低いに合わせようとしているのだから窮屈であろう。ゆっくりと近づいてくる彼を待ちながら、なぜだかそんなことを考えていた。

「僕の気持ち知ってるくせに」

近すぎて視界がぼやける寸前だった。切なさを帯びた声は、表情をも歪ませる。思わずは息を飲んだ。微かに触れ合う吐息に羞恥が生まれる。なのに、顔も視線も逸らせない。

「もしかして、僕のことからかってる?」
「……まさか……!そんなことするわけ」
「僕ははっきり伝えたつもりなんだけど」
「……」
「なかったことにしてるいんじゃないよね?」
「ち、ちがう……!そうじゃないのっ……!」
「……なら、思わせぶりな態度をとるのはどうして?」

明らかに躊躇い何も言えないでいると、優しく顎を親指と人差し指で捕えられてしまう。視線が絡んで消化不良の感情が膨れ上がり息がつまりそうになった。熱のこもった眼差しは一瞬でも離れることはなく、に注がれていた。
あの日のことは鮮明に覚えている。忘れることなどできようか。いつも【あの子】のおまけで傍にいただけの自分を、彼は選んでくれたのだ。理由なんてわからない。ただいつもどこか冷めている彼が見せてくれた、余裕の感じられない感情むき出しの姿が何度でもを高揚させてくれる。

「ねえ……これって僕の独りよがりじゃないんデショ?そろそろ気持ち……さんの口から教えてよ……」

の心を見透かしているのに答えを欲する彼は意地悪だ。これ以上はもう、我慢できそうもない。心臓の音が月島に聞こえてしまっているんじゃないかってくらいドキドキしている。彼が揺れるたびに微量の風が生まれる。あと少しで触れ合いそうな唇が、じれったくて震えていた。まだ薄らと残っている理性が、『彼は【あの子】の好きな人なのに』と呟いてくるのだけれど。あと数ミリの距離にある薄い唇に名を呼ばれるといよいよ理性は蕩けだす。とうとう彼に触れられた瞬間、の頭の中は真っ白になって。守ろうとしていたすべてのものが、弾けて飛んでいってしまった。
企画サイト「どうする」様に提出
2015.08.16 雪実