堪える (It's worth it.‏)

 この上なく情けない話だった。真選組への入隊を希望し、しつこく道場に通った結果として沖田さんに認められ、斬り込み部隊である一番隊への配属が決まったというのに、隊服は未だ解れ一つ作らぬまま部屋の隅に掛けられている。一刻ほど前、脇に挟んだ体温計は三十九度を示していた。頭が痛い。関節が軋む。入隊三日目にして、ものの見事に風邪で倒れてしまった。
 幼少から体が弱いだとか、そんな理由はもちろんなかった。ただ、新しい環境で男である他の隊士と同じ仕事と稽古に励むことは想像以上に体力を消耗し、疲労が溜まり、食欲はなくなり、体調不良が明確に風邪となって現れた。身体に鞭打って起き上がりたい気持ちはある。けれども、いい結果は得られないだろう。布団の中で、何度目かのため息をついた。

ー、粥ですぜィ」
 呑気な声と共に襖が開いて、片手にお盆を持った沖田さんが部屋に入ってきた。個室と言っても、プライバシーはあまり考えないほうがいいのかもしれない。いや、この人だからかもしれない。
「すみません、隊長自らなんて」
「可愛い部下の為なら構いやせんぜ」
「ありがとうございます。サボる口実だったらどうしようって思いました」
「お前、可愛くねェな。知ってたけど」
 差し向けられた蓮華からは、幾重にも重なった湯気が立ち上っていた。冷ます素振りもなく、強引に口元へ直進しようとする蓮華に危機を感じ、身体に鞭打って手の平で通行止めを実施した。明らかに涙目になって苦しむ結果がみえた。
「なんでィ、上司の言うことが聞けねェのか」
「聞けないこともあります。自分で食べさせてください」
「仕方ねェ。今なら始末書一枚につき一回ふーふーしてやりまさァ」
「それはご自分でお書きになってください」
 重い上半身を起こし、ゆっくりとお粥を食べた。塩加減が丁度良くて、おいしい。沖田さんに空になった器を返すと、代わりに薬を渡された。
「神山さん、今日私と当番だったんですけど、怒ってました?」
「知らね。あいつは怒らねェだろ」
 沖田さんは私が布団に戻ったことを確認すると、気怠そうに立ち上がった。
「言っておくが、入隊してすぐ寝込むのは珍しいことじゃねェぞ」
「そうですか。早く元気になるよう隊長の分も寝ます」
「その耳ただの飾りだろ口に全部栄養回ってんだろテメェ」
 健康であったならばバズーカの照準が定められていただろう。態度を改めてお礼を呟くと、沖田さんは治った時が楽しみでさァ、と毒々しい笑顔を残して部屋を去っていった。ずっと熱を出しておいたほうが無事に生きていられる気がした。
 波のような木目模様の天井を見つめた。こんなつもりじゃなかったんだけどな。深呼吸をすると、明日の朝には熱が引いているよう、瞼を閉じて身体の力を抜いた。



 真選組の全体での会議は定期的にあり、広間の前方に局長と副長が座り、各隊長と隊士が向かい合って腰を下ろす。座る位置に決まりはなく、隅のほうで正座をしている山崎さんを見つけると、隣に同じように正座をした。
ちゃん、元気になったんだ?」
「はい、ご迷惑をお掛けしました」
 山崎さんは、数少ない入隊前からの知り合いだった。監察だからか、あまり屯所内で見かけることはないけれど、話しかけやすくて優しいお兄さんである。
 見かけによらず情報通の山崎さんに、今日の議題を聞いてみようとしたときだった。後ろから背中に衝撃が走り、畳に手を付いた。何事かと振り向いて顔を上げる。
「おっと、すまねェ」
 大柄の隊士が、口元に笑みを浮かべながらわざとらしく謝罪した。大丈夫です、と咄嗟に返した。隊士はすぐに立ち去ろうとはせず、周囲に居心地の悪い空気が流れ、嫌な予感がした。
「嬢ちゃん、この間入った新人だろ? ここ数日見かけなかったなァ」
 身長差がありすぎて視界に入らなかったのかもしれませんね、なんて、思いはしてもさすがに口にできるはずがなかった。しかし、この状況で休んでいたことを認める気にもならない。言葉に詰まって、視線を泳がせてみせた。
 隊士は舌打ちをして、不満を吐き捨てた。
「力はねェ、体力もねェ、まだ討ち入りすらしてねェのに病欠とは、舐めてんのか?」
 大股で畳を踏み付けて歩き、隊士は広間の前方に陣取った。黒い隊服に覆われた背中は大きく、局長と副長がほとんど見えなくなってしまった。
 山崎さんが小声で励ましてくる。
「気にすることないよ。あいつ、一番隊に入りたいけど却下されてて、ちゃんが羨ましいだけだから。あれでも人一倍真面目に稽古やってる奴なんだ、許してあげて」
「大丈夫です。私もいきなり休んでしまったんですし」
 初日から、そんな気配はあった。最初から快く受け入れてくれる隊士は多いと感じたが、不信感や嫌悪感を隠さない隊士も少数ながらいた。心細いけれど、隊士のその気持ちは理不尽ではなく尤もだとも思う。幹部の面々と雑談を交わし、いきなり一番隊への入隊を果たし、個室を宛がわれ、厠や風呂などの生活環境に僅かではあっても制限が加わった。おまけに、見た目は明らかにひ弱な女だ。むしろ、何の疑問もなく受け入れるほうが難しいだろう。

 会議は厳かな雰囲気の中、主に副長と各隊長が連絡や報告を行うことによって進行した。山崎さんによると、いつもはもっと軽い感じで、ときには収拾がつかなくなってお開きになったりもするらしい。今回は攘夷志士の潜伏先が判明したため討ち入りの調整があり、真剣なほうの会議だったという。
「今回の討ち入りは規模が大きいから、もしかしたらちゃんは留守番になるかもしれないなあ」
「そう、なんですか?」
「戦場だからね。新人は外されることがあるよ。隊長の采配によるけど」
「力不足であれば引っ込むしかないんですけどね。沖田さん次第かあ」
 会議が終わってから、沖田さんはその場に残って局長と副長と話をしていた。膝の前に置いた、刀の柄をそっと握った。
「俺はもう少し慣れてからでもいいと思うよ」
 山崎さんが眉尻を下げて、顔を覗き込んできた。山崎さんはおっとりしているのに鋭くて、案の定、完全に見抜かれてしまっていた。同じように眉尻を下げて、苦笑した。

、これから俺と見廻りでィ」
 しばらくすると、沖田さんからそう声を掛けられた。黙って首を縦に振り、ポケットに手を突っ込む後姿に続いて屯所を出た。



 湯気のような薄い雲が空に漂う、うららかな午後だった。通りは人で溢れていて、手を繋ぐ親子や、犬の散歩をする老人が目の前を横切っていった。三つ目のお団子を頬張り、程よい甘さのみたらしを満喫する。
 他の隊士に見られたら洒落にならないな。懸念はあったけれど、もぐもぐと頬を膨らませる沖田さんを見ては我慢など出来るはずがなかった。
「副長に見つかったら雷落ちちゃいますね。みたらし最高」
「今日は避雷針があるから大丈夫でィ。三色が一番だろィ」
「それ私のことですか、部下見捨てちゃいけませんよ。きなこも捨てがたいです」
「隊長を盾にするほうが士道不覚悟でさァ。のり巻いてるやつ食いてェ」
 沖田さんはそう言いながら、私が買ったみたらし団子を一本奪っていった。三色団子を交換にもらおうとしたけれど、隊長の器はもう空っぽになっていたから、賄賂だと思って納得した。
 綺麗になった竹串を器に戻し、熱いお茶を啜った。頭がおかしくなるくらい、平和である。誰かが誰かを斬ろうと考えているなんて、夢の中の話みたいだった。
「私、もう完治したんです。新人は留守番になることがあるって聞きました」
 沖田さんの指に摘ままれた、裸になった竹串を眺めた。ゆらゆらと切っ先が揺れている。
「討ち入りに参加しても良いでしょうか?」
 なんとなく、何をどう言ったとしても関係はなく、既に沖田さんの中で答えは出ている気がした。沖田さんは竹串を銜えて残った切れ端を食べ終え、横目をくれた。
「参加で話通したぜィ」
 安心したような、残念なような、複雑な気持ちになった。
「わかりました。ありがとうございます」
 もし隊長が沖田さんでなければ、おそらくは参加させてもらえなかった。贔屓であるとは思わない。無理だと判断すれば、きっと沖田さんは許可しない。単純に能力を評価した上での許可だろう。それでも、純粋に喜ぶことはできなかった。

 不安は燃え上がることもなく、細々と燻っていた。色々な心配をしてしまうのが鬱陶しい。何も考えずに真っ直ぐに目の前のことに取り組めたら、なんて、心にもないことを考えた。
「隊長って、私に甘いですよね」
 その扱いを甘受しておいて、今更な台詞ではあるけれど。厳しい指導が妥当である場面は何度もあったと思う。放任とも少し違う。沖田さんは私に対して、寛容だった。
 程度はともかく、それは隊士の鬱憤を積もらせる一因になっているだろう。だからと沖田さんを責めるのはお門違いも甚だしいけれど、事実ではあるはずだ。
「そうかもしれねェけど。指摘される内容をわかってて怒られんの待ち構えてる奴をわざわざ叱る趣味は俺にはねェ」
 沖田さんは、腰に刀を差し直し、会計を済ませた。
「私、そんなにできた部下ですか?」
「調子乗ってんじゃねー。言っておくけどなァ、今お前マジメすぎだから。分厚い眼鏡かけて校則の一つも破りゃしねェ堅物委員長状態だから。つまらねェこと難しく考えてるだけだから」
「酷いです。隊長はデリカシーなさすぎです」
「ヘェヘェ。刀持つときは肩の力抜けよ。道場で竹刀持つのと戦場で刀持つのは別だぜィ」
 沖田さんは最後に釘を刺して、団子屋を後にした。ゆったりとした歩調に合わせて、腰の鞘に収まった刀が動いていた。確かに、背負っていた竹刀よりも随分と重い。



 密偵の情報によると、過激派の会合は町外れにある料亭で行われるらしい。幕臣の殺害や政府管轄地の爆破を繰り返している過激派で、決して狭くはない料亭を貸し切る程の人数がいるらしい。真選組は一番隊と二番隊が先陣を切り、十番隊が逃さないように建物の四方を囲う手筈だった。
 路地裏には灯りがなく、高い位置にある料亭の障子から漏れる僅かな光のみが辺りを照らしていた。辛うじて隣の隊士の表情が読み取れる距離で、息を殺して合図を待った。
、大丈夫か?」
 息遣いで喋るように、先輩が確認してきた。目を合わせて無言で頷いた。心臓はいつもより騒がしい。吐き出した自分の息が熱い。焦りが言動に影響しないよう、ともすれば暴発しそうな意識を宥めた。
 少し冷静になって、案外、周りも同じようなものだと気が付くと、更に頭は冷えていった。悪くない。

「いくぜィ」
 低く静かな、突入の合図が聞こえた。何足もの靴が砂利を撥ね飛ばし、料亭の中へ黒い隊服が滑り込んでいく。一階は店員が驚いているのみで、沖田さんは真っ先に二階への階段を駆け上がって行った。飛ぶように消えた後姿を、一番隊の隊士が追いかける。決して騒々しくはないが、荒々しさは一級品で、階段の板が抜けるんじゃないかと心配した。
 襖が蹴倒される音に続き、御用改めでィ、と張り上げられた声が聞こえた。突然の乱入者に攘夷志士が肝を潰されたのは一瞬で、すぐさま刃と刃が擦れ合う悲鳴が耳を斬った。
 二階は左右に襖が並ぶ造りになっていて、板張りの廊下は突き当りで曲がって更に奥に続いていた。先陣の隊士に些か遅れて靴を二階の床に下ろした直後、殺気を感じて体を折り曲げてしゃがみ込んだ。
 仕掛けのように、襖から何本もの刀が突き出してきた。逃げ遅れた隊士が腕や腹を貫かれ、顔が苦痛で歪んだ。致命傷ではないが、反撃するには動きが鈍い。襖から手応えを感じた刀が引き抜かれたのを見て、急いで床を転がって階段を一段下がった。直後、一斉に襖が廊下に倒され、負傷した隊士が覆われて見えなくなる。
 攘夷志士は、人間の体を敷いて盛り上がった襖を踏み付けたまま、刀を頭上に振り翳した。その懐へ潜り込み、まだ白い刀で無防備な胸を斬った。汚れ一つない布地に鮮血が浸み込んだ。柄を握れなくなった姿に目もくれず、次の襖へ襲いかかる刀を突きで跳ね飛ばした。そのまま、柄で顎を強打して昏倒させる。
 襖の端を足の甲に乗せ、乱暴に持ち上げてどかした。隙をみて斬りかかってきた刀を受け止めずに流し、刃が食い込むのを待っているかのような両腕を裂いた。後続の隊士が着いたことを確認すると、斬り合いの渦中に刃を向ける。
 既に何人もの攘夷志士が倒れて力尽きており、畳の所々が赤く染まっていた。ふと、容赦なく綺麗に貫かれた肩を見つけて、沖田さんだろうな、と思った。
「女とて手加減せんぞ!」
 叫んだ攘夷志士が飛びかかってくる。結構です。そもそも、余所見をしていた私に対してそう言うこと自体が、手加減と言えると思いますけどね。それとも、実は情けをかけられる作戦だったりして。
 待ち構えて、相手の勢いを利用して鳩尾を肘で破るように突いた。距離を詰めるのが驚くほど容易い。相手が小柄すぎて慣れないのかもしれない。崩れ落ちる身体を見送ってから、周りを見渡した。
 派手に立ち回り過ぎたらしい。四方を攘夷志士に囲まれていた。乱れた息を整え、両手で柄を握り直すと、じっとりとした手汗が吸い込まれたのがわかった。
 首、取られにきたんじゃなくて取りにきたほうですので。
 腰を落とすと、畳をにじって踏み切り、向けられていた二本の切っ先を弾いて二人の隙間に滑り込んだ。通り掛けに脇腹を薙いで、包囲網を崩し、踊るように攘夷志士の間を駆け抜けた。

 屋外に出ると、身に纏う隊服が異臭を放っているのがわかった。袖口に鼻を押し付けて顔を顰める。改めて自分を眺めると、飛沫が模様を描いていた。
「お疲れ。怪我はあるか?」
 先輩は同じような格好で、背を屈めて問うてきた。感覚が麻痺している気もしたが、どこも痛くはなく、首を横に振った。
「愚問だったな」
 笑った先輩は、手加減なしで背中を叩いてきた。風邪をひいたときみたいに、背中が熱をもって痺れた。ここは手加減してほしかったな、なんて。

 湯に浸かって部屋に戻ると、沖田さんが寝転んで肘で頭を支えていた。ご丁寧に持参したのか、漫画雑誌がぺらぺらと捲られている。しかも口にはアイスが銜えられていて、ここは貴殿の部屋ですか、と退場を命じたくなった。
「アイスって食堂の冷蔵庫にあるんですか?」
 気を取り直して尋ねると、返事はなく代わりに手招きをされたので、向かいに座った。呆けていると、口に食べかけのアイスが突っ込まれた。本当にこの人は、突くの上手すぎる。表には出さなかったが、今日一番の敗北感を覚えた。
 アイスはオレンジのシャーベットで、少し甘いのと少し酸っぱいのでさっぱりした味だった。疲れた風呂上がりの身体にはアイスは麻薬に違いなく、棒に氷の欠片も見当たらなくなるまで没頭した。
 味がなくなった棒切れをごみ箱に捨てると、沖田さんは雑誌を閉じていて、黙ってこっちを見上げていた。首を傾げると、反応した沖田さんは両肘をつかって這ってきて、片手を頭に乗せてきた。温かい手が洗ったばかりの髪の毛をぐしゃぐしゃにかき回していく。
「なんですか、もう」
「よく頑張りましたの刑」
「なんですか、それ」
 こんがらがって俯いたけれど、沖田さんは寝転んだままで、視線からは逃れられなかった。手を振り切ればいいとわかっていても、実行に移す気は起きなかった。悔しくて、気恥ずかしくて、目頭が熱くなった。顔を気持ちばかり背け、鼻水をすする。
「やりィ。その不細工なツラ見にきたんでィ」
「・・・刑ってそういうことですか!」
 沖田さんはしてやったりと意地悪く笑っていて、合点がいくと、手近な座布団を引っ掴んでその憎らしい顔に叩き付けた。




150531 ... どうするさんへ、ありがとうございました!結果的にたえるじゃなくてこたえるでもいけそう。笑