- 指先 -
たくさんの紬、薄絹、緞子の角帯や洒落た兵児帯。
そして錦紗、御召、桐生織、西陣織などの反物。
色とりどりの組紐。
イタチ、鹿、羊、馬、狸毛など質の高い筆。
細やかな装飾をほどこした硯。
櫛や下駄、美しい瑠璃の珠、ぎやまんの細工物……。
私の目の前には色んな品物が並んでいる。
私の父が1つ1つ品物の説明をして、私はそれにともないそれらを見せてゆく。
父は主に、南蛮から渡ってきた品物を取り扱う仕事をしている。
齢十を満たしてからは、私も父についてゆき仕事の手伝いをしている。
上座にいらっしゃるのは、奥州の国主、伊達政宗様だ。
私は品物を取り出しながら、そのお姿を隠れ見る。
彼は脇息にもたれかかり、前回、私達がお届けした扇子を手で持ち遊んでいる。
楽しそうに笑みをたたえるその唇は少し薄く、しかし意志の強そうなくっきりとした輪郭で形がいい。
とても端正なお顔でいらっしゃる。
切れ長のどこか高貴な猫を思わせる瞳。
すっと通った高い鼻梁。精悍な頬や顎の線。
均衡のとれた逞しい肢体、男らしく節くれだっている長い指、柔らかそうな長めの御髪。
……このお方には全てが揃っているように思われるが、そのお顔には鋼でできた眼帯がつけられている。
右の目が見えないから、余計に左目を魅力的に見せているんじゃないだろうか。
隠れ見ていたつもりが、強い光を持つ左目に魅せられて、少しぼんやりしてしまっていたようだ。
ふっと政宗様と目があった。
目が合うと、私の心臓がドクドクと早く脈打つ。
どうしようか、目をそらすべき?それも失礼にあたるのだろうか?
私は小動物のようにビクビクして焦る。
政宗様は眉をひょいと上げると、笑いかけてくれた。
私は目を大きくさせて、彼の微笑みに魅入った。
とても強いのに、とても優しい少しつり上がった形の瞳。
そんな政宗様の瞳に、私の心がぎゅうっと締め付けられる。
政宗様は何も言わずに私から視線を外し、また並べられている品物に目を向けられた。
初めてお会いした時から、想い続けている私の愛しいお方。
奥州の王。
天下を駆け昇る竜。
私には絶対に届かない、遠い遠いお方……。
政宗様は脇息にもたれながら、閉じた扇子で品物を示す。
「じゃあ、その鏡と、こっちの紫の反物、ああ、それとこの筆と硯な」
「かしこまりました。いつも御贔屓にしていただき誠にありがとうございます」
私は政宗様と父の会話にはっとして、我に返った。
思わず持っていた品物を落としそうになる。
いつの間にか、自分の恋心に思考を惑わされていたらしい。
取り繕うように、下を向いて品物を片付け始めた。
「いつも良い品を持ってきてくれてんだ。こっちこそ礼をしねぇとな」
「とんでもございません、お代は多くいただいております。これ以上なにも望みません」
「そう遠慮すんなって」
困った顔で辞退しようとする父と、どこか楽しげに褒美を贈ろうとしている政宗様。
私は少し苦笑して、品物を全て片付け終えた。
しばらくの二人攻防の後、政宗様は大きくため息を付いた。
このお方は誰かに贈り物をするのが、とても好きだと聞いたことがある。
父に褒美を受け取ってもらえない事に、落胆されたのかもしれない。
「Ah. それなら…。Well… 確かといったな?」
私は自分の名を呼ばれて、かぁっと顔を赤くしてしまった。
政宗様に名を呼ばれるのは初めてだ。
私の名を覚えておられる事にも驚く。
初めてお会いした時に、父の隣で一度だけ名を名乗っただけなのに。
政宗様のその左目が真っ直ぐ私を見ている。
身体が、熱くなる。
答えない私に、政宗様は少し小首をかしげた。
父が私の袖をひいたのに気づいて、あわてて返事をする。
「はい。でございます」
「アンタの親父さんが、褒美を欲しがらなくてつまらねぇ。アンタにも聞く。何か望みはねぇか?」
「望み……ですか…」
このお方に私などが何を望めようか。
装飾品や金品などは欲しいと思わない。
でも……何か、お願いしたい。
ここで何もいらないと答えれば、政宗様は落胆されるかもしれないし、会話が終わってしまうのも悲しい。
私は急いで頭を回転させて、どう答えようか考えた。
ああ、そうだ。ここに初めて来た時に思った事があったんだ。
米沢城はとても大きくて、そして美しかった。
あまりにも素晴らしいお城だったので、初めて来た頃からあちこち見てみたいと思っていた。
通された部屋だけでもとても上品だったし、他の部屋はどうなっているのだろう、庭にはどんな花が咲いているのだろう。
「政宗様。はこの城内を見てみたいと思います」
私は頭を低く下げ、そうお願いしてみた。
「Hum…そんな事でいいのか。よし、分かった。小十郎」
「はっ」
「を案内してやれ」
「承知致しました」
政宗様の右後に、静かに座っていらっしゃった片倉様が私を見た。
「あとは頼んだ」
あ……。
政宗様は、音もなく立ち上がるとさっそうと部屋を出て行ってしまった。
もう少し、お話をしていたかった。
お姿も見えなくなってしまい、私は少しだけ、しょんぼりと肩を落とした。
「こちらが三の丸だ。二の丸を囲うように作られている」
私は片倉様の後をついて、城内を歩いている。
思っていたとおり、どこもかしこもすばらしいお城だ。
ある部屋では狩野派が描いたと思われる唐獅子の金屏風に目を奪われる。
また他の部屋には千利休作の竹一重切り花入れが、さりげに飾られていて驚く。
独特の雰囲気のある部屋だと思えば、九相観の掛け軸があって、恐ろしくも何処か美しい絵が部屋の雰囲気を醸し出していることが分った。
欄間の透かしや彫りの細やかさ、華を描いた障子、畳の縁淵の刺繍までが雅だ。
政宗様はこんなところでお暮らしでいらっしゃるのか。
慕っているお方の事を知れて、私は嬉しくなる。
「小十郎様」
「孫兵衛か。どうした?」
私と片倉様の前に、一人の男の方が申し訳なさそうに近づいてきた。
客人の邪魔をしてしまったと思っているのだろうか。
私は気を悪くしていないと伝える代わりに、その人に微笑んで見せた。
孫兵衛と呼ばれた人と片倉様は、私から少し離れお話をされている。
なにか重要な話なのだろうか。
しばらくして、片倉様が私の所に戻ってきた。
「悪いが案内はできなくなった。二の丸まではどこを見てもいい。一人でまわれるか?誰か他の者をつけようか?」
「一人で大丈夫でございます。お気遣いありがとうございます」
頭を下げた私を置いて、二人は去っていった。
片倉様もお優しくしてくださるが、やはり緊張してしまうから、正直一人の方が気楽でいい。
私はゆっくりと廊下を歩きはじめた。
庭に面した部屋にたどり着いた。用意してある草履を借りて庭に出でる。
優しい陽射しが、木漏れ日を作っている。
あまりにもの気持ちの良い気候と、素晴らしい庭に気分が浮きだって、私は腕を広げ袖をひるがしながら身体を回転させ辺りを見回した。
さわさわと風に揺れて、嬉しそうに木々が鳴く。
太陽の光を受けた瓢箪型の大きな池がある。その横には柳の木の葉が垂れ下がり柔らかく流れ揺れている。
掛けられている橋を渡り欄干に手をついて池を覗き込むと、鯉がぱちゃんと音をたてて跳ねた。
飛沫がきらきらと光る。
私はワクワクした気持ちで庭を散策して、目一杯の時間をかけて城を見てまわった。
そのまま一刻も時間をかけて城の中を楽しんだ。
さて、そろそろ戻ってお暇しよう。
父が待っている部屋に向かって足ばやに歩く。
ん?……あ……れ…?おかしい…。
私は廊下を右へ左へと曲がる。
確か、こっちから来たはずなんだけど…。
困った。どうやら迷ってしまったらしい。
二の丸までは見てもいいと言われたけれど、今自分が何処にいるかさえも分からない。
間違って本丸なんかに迷い込んでしまったらどうしよう?
私は不安に押しつぶされそうになるのを懸命にこらえて、キョロキョロしながら慎重に帰り道を探す。
「Hey」
突然かけられた声に驚いた私は、大きく肩を振るわせ振り返った。
そこには着流し姿で、腰に手を当てて立っているこのお城の持ち主がいた。
「政宗様!?」
どうしよう!
政宗様がいらっしゃるという事は、ここは入ってはいけない所だったんだ!
私はおどおどと目を彷徨わせる。膝がガクガクと震えた。
お咎めに合うだろう。優しいお方だから、きっと刑罰を与えるような事はないのだろうけど…。
でも、でも、もう父の店を贔屓にしてくれないようになるかもしれない。
それどころかもう出入り禁止になるかもしれない。
そうなったら、このお方に会えなくなってしまう!
そんなの、そんなの絶対嫌だ…っっ
私の目にみるみる涙が浮かんでくる。
小刻みに震える身体に、その涙が溢れてしまいそうでまばたきを堪えた。
「?どうした?」
政宗様は私の顔を覗き込んで、少し驚かれていらっしゃる。
泣きそうになっている私の表情に戸惑われたのだろう。
きっと、私、ひどい顔をしてるに違いない。
すんっと鼻をすする。
城で迷って、政宗様にこんな顔を見られるなんて最低だ。
怖くて、恥ずかしくて、余計に涙が出る。
我慢していたのにぽろっと涙が落ちて、よく磨かれた床に黒っぽい染みができる。
一度そうなると、もう止まらない。
政宗様の不興を買ってしまったんだ。
軽蔑されたかもしれない。
不躾だと思われているだろうか。
しょせん下賎の者だと嫌われただろうか。
そしてこんなみっともない顔も見られてしまった。
もう、このお方に会えなくなるのだろうか……。
私の心に様々な思いが巡り、思考がぐちゃぐちゃになる。
うつむくと更に涙が床にこぼれてゆく。
「。どうした?何を泣いている?」
「も、申し訳、ござ、いませんっ」
「何に謝ってんだ?」
「私、迷ってしまって……ここが、入ってはならぬ所と、知らずに」
言葉が詰まり上手く話せない私に、政宗様は「そんな事か」と笑った。
怒って……いらっしゃらない……?
私は恐る恐る顔を上げて、政宗様をうかがい見る。
彼は面白そうな表情で私をじっと見ていた。
「ここは二の丸だ。客人が入っても問題ねぇ」
政宗様の答えに私はほっとして、知らずに強ばらせていた身体から力を抜いた。
「小十郎に案内させていたはずだが、あいつに放っていかれたのか」
くすっと笑うと、政宗様は続けた。
「それで?アンタは迷子か」
私は恥ずかしさに消えてなくなりたいと思った。
迷って、勝手にあれこれ考えてしまって、挙げ句の果てに泣いてしまった。
幼い子供のようだ。政宗様に呆れられたかもしれない。
そう気落ちしていたら、政宗様が言った。
「Okeydokey. なら、オレが案内してやる」
「え?!」
政宗様の申し出に私は驚く。
国主自ら城を案内してくださるというの!?
ただの商人の娘の私を?!
信じられない出来事に私は動けず、言葉も発せられない。
そんな私の傍に政宗様が近づく。
いい香りが私の鼻孔に届いた。
この香りは羅国だろうか。ううん、それだけじゃない。
羅国に何かの香りが僅かに混じっている。政宗様にとても似合う上品な香りだ。
雅で風流を愛するお方だ、きっと香もご自分で調合し着物に薫きしめていらっしゃるのだろう。
その香りにうっとりとしてしまう。
「仕事から逃げて来たところなんだ。アンタを案内してりゃ、仕事を放り出した言い訳にもなんだろ」
そう言って、政宗様は歩き出した。
私もあわてて後を付いて行く。
政宗様が前をゆくから、思う存分彼の後姿を見ることができた。
私よりずいぶん背が高い。近くで見ると思ったより細くない。
着物の上からだけど、鍛え抜かれているのが分る。
このお方に抱きしめられたら、どんな気持ちだろうか。
少しだけ想像して、勝手にドキドキして少し顔を赤らめてしまう。
政宗様はゆっくりと城を案内してくれた。
案内の途中に私の名前を呼んでくださる、少し掠れる低い声。
このお方に名前を呼ばれると、胸が痛くなる。とても切なくなる。
でも、もっと呼んほしい。
そしてもっと私を見て欲しい。もっと微笑んでほしい。
ねぇ……政宗様……は、貴方様が好きです……。誰よりも好きです。
お慕いしております……。
叶わぬ思いだとしても。は、はずっとずっと貴方様を想い続けております…。
「。ここまで来たんだ。天守まで行っちまおうぜ」
政宗様はそう言って振り返る。
その表情はいたずらを思いついた子供のようだった。
「内緒だぜ?」
そう言って周りに誰もいないのを確かめて、こっそり天守への階段をのぼる。
小さな秘密だけど、政宗様と共有できて私の心は浮きだった。
天守はそう広くなかった。
でも、そこから見える景色に私は圧倒される。
さっき見ていた庭がずいぶん遠い。私が住む城下町がとても小さく見える。
何よりも高く天に近いここで、政宗様はいつも何を思っていらっしゃるのだろう。
外を眺める政宗様を私は仰ぎ見た。
そのお顔は、遠くに思いをはせているように見える。
私達はしばらく黙ったまま風景を眺めていた。
風が渉る。政宗様の茶色がかった御髪が揺れる。
男の人なのに、綺麗だな、と私は思う。
戦場におられる政宗様を私は知らない。
独眼竜と悪名高く恐れられると聞くけれど、私の知っている政宗様からは想像できない。
もちろん、国主らしく堂々としていらっしゃるし、威厳もあり、とても矜持がお高そうに見えるからある意味では恐れてしまうのだろうけども。
でも、私などに話しかけてくれたり、笑いかけてくれる。
私の身分では絶対来られぬだろう天守に連れてきてくださる程くだけた所もあって……とても優しく、気さくで誰よりも素晴らしいお方だ。
今日は私の生きてきた中で、一番良い日になった。これ以上の幸せを私は知らない。
この思い出を一生大切にしよう。そう心の中で思った。
届かぬ私の想いだけれど、こんな素敵な思い出をいただけただけで十分だ。
外を見ている政宗様のお顔は、遠くを、本当に遠くを見ているように思えた。
天下を思っていらっしゃるのだろうか。
もしかしたら、外つ国の事を思っているのかもしれない。
吹き抜けの窓から風が入り込み、微風を受けて政宗様は気持ち良さそうに目を閉じた。
そんな彼の姿はこの世の物とは思えないほど魅力的で、目を奪われしまい、そしてそのまま視線を外せなくなってしまった。
─────触れたい。
私は自分がそう思った事さえも分からずに、手を伸ばしていた。
政宗様はそんな私の動きに気づき、少しだけその隻眼を大きくさせる。
でも私は止められなかった。
この方に、触れたい。どうしても触れたい……。
私の指があと少しで彼の頬に届く。
その時。
「政宗様!!」
ビクッとして私は手を引っ込めた。
「Ahー……小十郎……」
ばつが悪そうに政宗様は頭をかいた。
私もどうしていいか分からずに、自分の着物の袖を意味もなく弄る。
「仕事を放って何をしておられるか!」
「Let me see……Ah……厠に行こうとしたら、に出くわしてな。お前が案内放棄したようだから代わりにオレがだな……。な?そうだろ?」
急に話を振られて、私はこくこくと顔を縦に振る。
片倉様は大きくため息をつかれた。
「天守にまで来られて…。全く、少し目を離すといつも……」
「Wait a bit!の前で小言は勘弁しろよ。かっこつかねぇだろうが」
政宗様は肩をすくめて戯けてみせる。
「ともかく早く政務室にお戻り下さい」
片倉様はもう一度ため息を付くと、階段を降りて行った。
トントントンと階段を降りる足音を聞きながら、政宗様は長く息をついた。
「怒られたな…」
「怒られましたねぇ…」
私と政宗様は顔を見合わせてから、クスッと笑いあった。
「」
「はい?」
政宗様は私の手を取って、ご自分の頬に持っていかれた。
私は驚いてビクリと指を振るわせる。
彼の頬は柔らかくて、そして暖かかった。
「あ…の…」
「どうした?オレに触れたかったんだろう?」
「え、え、ええっと……」
私はなんて言えばいいのか分からなくて、みっともないほど一人慌てる。
「アンタ、オレをどんな目で見ているか分ってんのか?」
「ど、どんな目って……」
「すげぇ熱っぽく見つめてきやがって。妙な気分になるだろうが」
「へ…?え…?あ、あ、あの、す、すいません!!」
私の想いに気づかれたのだろうか?
鼓動が跳ね上がり、全身が心臓になったようだ。
政宗様は私の手を頬に当てられたまま、くつくつと喉の奥で笑う。
そうしたかと思えば、すっと笑いを引っこめ、お顔を近づけてこられた。
え……?
私は、驚いて固まってしまう。
どんどん政宗様の顔が近づいてくる。
口づけられる……っ!
唇に吐息がかかりそうなほど顔が近づいた時、ぴたりと政宗様は止まられた。
「そんな死にそうな顔すんなよ。JokeだJoke」
「……じょおく…じょおく…?あぁ、はい!そうですよね、冗談ですよね!」
私は、あはははは…と乾いた笑いをあげる。
どっと身体に汗がふき出た。
「戻るか。また小十郎に小言くらっちまう」
政宗様は何事もなかったかのように、くるりと私に背を向けて階段に向かった。
まだ私の鼓動は治まりそうにない。
政宗様の気まぐれないたずらは、私には刺激が強過ぎて本当に心臓に悪い……。
ほうっと長く息を吐いて、気を取り直そうとしたら、政宗様が顔だけで振り返った。
「」
「はい?」
「続きは─────また今度な?」
彼はニッと笑うと、唖然としている私を置いて階段を降りていってしまった。
何を言われたのか正しく理解もできずに、政宗様に触れた手が熱く、指先がじんじんと痺れて…………。
私は長い長い間、その場から動けずにいた。