- 傍に -
どかーーん!!
すごい音に私は驚いて、何があったのかと音がした方に走った。
ぶわりと砂埃が舞っていて視界が効かない。
また、どごうっっ!!っと音がして、地が揺れた。
振動と音に思わず身をすくませる。
あ…!?
私の所に屋根の瓦の破片が飛んで来たのが見えた。
避けられない!
私は目をぎゅっとつぶって痛みを覚悟する。
その時、身体がふわりと浮いた。
「え…?」
次に目を開けた時には地面が遠くなっていた。
屋敷の屋根の上に居る事に気づく。高さに目眩がして、落ちかけた。
私を支えてくれる人がいて、なんとか落ちずにすむ。
その時初めて、すぐそばにいる人を見た。
「大丈夫?」
男の人だった。
黒緑に千斎茶、褐返。色々な色が混ざるその衣装は自然の中で身を隠すためなのだろうか?
印象的な橙色に近い長い髪をしている。
頬と鼻筋に緑の塗料が塗ってある顔。
一風変わった姿だ。軽い笑顔を私に返してくれた。私はその表情にドキッとした。
この人が助けてくれたらしい。
「おたく、新人でしょ?」
「あ、はい。と申します」
「ダメよー?お館様と真田の旦那が殴り合いしてる時に近づいちゃ」
「殴り合い……ですか…?」
屋根の上から見て、状況が分かった。
確かに二人の男の人が、大きく殴り合いをしている。
派手に殴りあうので、その周りの木や壁なんかがどんどん破壊されて行く。
私に飛んできた瓦の破片はこれの産物らしい。
「あの、止めなくていいんですか…?」
「んー?大丈夫大丈夫。いつもの事だし」
「はぁ、いつもの事、ですか……」
ひときわ大きな音をたてた後に、その「殴り合い」とやらは終わったらしい。
私を助けてくれた男の人は、また私の腰に腕をまわすと重さなど感じないように屋根から飛び、軽い音をたてて地面に降りた。
そのまま殴り合っていた(後から分かったのだが、信玄様と幸村様だった)二人の元へ行こうとした彼の服を私は引っ張る。
彼が振り返った。
「なあに?」
「あの、お名前なんて言うんですか?」
「俺様?佐助っていうんだ。よろしくね。ちゃん」
「佐助さん。助けて下さってありがとうございました」
「あは。いいのいいの。またね」
軽く笑うと佐助さんは、今度こそ殴り合いを終わらせた二人の元へ行ってしまった。
これが私と佐助さんの出会いだった。
私が
「おお!それは某の団子でございましょうか!?」
「え?え?幸村様?」
「いただいてもよろしいか?」
「あ、はい。どうぞ…」
私が団子を乗せたお盆を渡すと、幸村様は嬉しそうな顔をしてそれを走り持っていった。
「変なお方…」
そのあとすぐに、佐助さんが廚に入ってきた。
彼の顔は少し疲れているように見えた。
初めて会った時から、私は彼の事が気になって色々回りに聞いてまわった。
彼は忍頭で、面白い事に忍の仕事とは思えない幸村様の世話なんかもしているようだ。
色々忙しいのかもしれない。
「あ、ちゃん。旦那のおやつできてる?」
「もう持っていかれましたが…」
「あれ?なんだ。俺様が持って行くって言ったのに」
「じゃあ、ちょっと待っててください」
私は湯のみを乗せたお盆を佐助さんに差し出す。
彼は不思議そうな顔で聞いてきた。
「これ、誰かに持って行けって言われたの?」
「佐助さんの分です。お疲れのご様子ですから蜂蜜と生姜を入れておきました」
私がそう言って笑うと、佐助さんは少しの間お茶を見つめてから笑った。
その笑顔に私はまたドキッとする。
「ありがたくいただくね」
佐助さんは、嬉しそうにお茶を受け取った。
お茶がそんなに嬉しかったのだろうか。
こんな事で喜んでもらえて私も嬉しくなった。
「こんな所で何してんの?」
私が土だらけの手で振り返ると、佐助さんが覗きこんでいた。
「この子を日当りのいい所に植え替えてたんです」
地面には、私が移動させた
それを指し示して佐助さんが聞いてきた。
「この草をわざわざ植え替えてたの?」
「ちゃんと世話をすれば、小さいけれど黄色くて可愛らしい花が咲くんですよ」
「花が好き?」
「ええ、とても」
「この草はね。打撲や切り傷に効くんだ」
「薬草になるんですか?」
「火であぶって患部に貼付けてもいいし、汁が出るまで揉んで傷に塗ってもいいんだ。簡単でしょ?」
「佐助さん、物知りなんですね」
「忍なんてものは任務の途中に何があるか分からないから、薬草なんかの知識はあって当然なんだ」
私は立ち上がると、汗で額に張り付いてた髪を手で払う。
佐助さんは、くすっと笑うと私の額に手を伸ばした。
「綺麗な顔が台無しだよ」
彼が手を伸ばしてきたので、私は少し身構えた。
私の顔についた土を落としてくれる。
私は少し恥ずかしくなって笑うと、佐助さんも笑顔を返してくれた。
うららかな気候が気持いい朝。私は仕事に入る前に地に
木々にいた雀達がすぐに飛んできて、稗をつつく。
この子達には、いつも状態が悪く選別から外れた稗をやっている。
最近は私にも慣れていて、私が餌を持ってくるのを待っている。
私の姿を見るだけで、集まってくるほどだ。
ふっと影ができて私は顔をあげた。
佐助さんが木から降りてきたのだ。
彼はよく何処かの木の上や屋根の上にいるのを私はもうよく知っている。
遠くまで見えるように、何か異変がないかいつも警戒しているのだろうか。
私の姿を見つけて降りてきた彼は、稗を待つ小鳥達のようだ。
「ちゃん鳥好きなの?」
「はい。可愛らしくて。それに綺麗でしょう?」
佐助さんはそれを聞いて、口に指を咥えると指笛で高い音を鳴らした。
遠くから大きな鳥がこちらに向かって来る。
バサバサと羽を鳴らして佐助さんの肩にとまった。
同時に危険を察したのか、雀達はその場を離れ飛び去って行った。
この大きな黒い鳥は佐助さんの肩で大人しくとまっている。
とても大きく、黒い羽は艶をおびていた。
私は目を大きくさせて佐助さんと鳥を見た。
「こいつ、俺様の鳥」
「まぁ!」
私がその鳥に触れようとすると、佐助さんは身を引いた。
「だめだめ。こいつは俺様以外に触れられると怒って攻撃してくるよ」
佐助さんがそう言うので、私は少し残念な顔をした。
そうしたらその鳥は何でもないように佐助さんの肩から私の肩に飛び乗ってきた。
今度は佐助さんが目を大きくした。
「驚いた…。俺様以外に懐くなんて」
私は喜んでこの大きな鳥の目の下の辺りを指で優しく撫でる。
そうするとこの子は気持ち良さそうに私の手に頬をなすりつけてきた。
とってもかわいい。
「いい子ね、貴方も何か食べる?」
「餌の時間以外に食べさしちゃダメだよ。躾にならないからね」
佐助さんの言葉を理解しているのだろうか、不服そうに鳥が鳴いた。
その様子もとても愛らしい。
「ちゃんに懐いちゃったみたい。きっとちゃんが優しい心の持ち主だって分かるんだ」
「そんな事ないですよ。この子が頭いいからだわ」
この大きなかわいい鳥とじゃれていると、佐助さんは笑顔で私たちを見ていた。
青い空が気持いい。私が空を見上げていると、佐助さんが屋根の上にいるのを見つけた。
「こんな所に何か用?」
「佐助さんが見えたので上がってきちゃいました」
佐助さんは苦笑する。
「危ないから、下りなさい」
私は佐助さんの注意を笑顔で無視して、たもとから笹の葉で包んだ干柿を渡した。
「おやつ持ってきました」
「俺様、真田の旦那じゃないよ」
くすくすと佐助さんは笑う。
私が瓦の上に座ると、佐助さんも隣に座って私が渡した干柿にかぶりついた。
風が渉る。
佐助さんの長めの髪がたなびく。
鳥達が三角の形を取って飛んでゆく。
雲一つない空は、透明感を持った青さだった。
「ここ気持ちいいですね。私も時々登ってこようかな」
「ちゃん、子供の時結構やんちゃだったでしょ?」
「ふふふ、そうですね。男の子と一緒に木登りとかしてたなぁ」
「だろうね。でもここに来る時は俺様がいる時にしてよね」
「あら、なぜですか?」
「落ちそうになったら助けてあげるから」
「私そんなドジじゃないですよ」
言い返した時、大きな音をたてて振動が起こる。辺りが揺れた。
私が揺れる屋根から落ちそうになるのを、佐助さんが初めて会った時のように支えてくれる。
どうやらいつもの恒例よろしく、お館様と幸村様の殴り合いが始まったようだ。
「ほら、だから言ったでしょー」
佐助さんはそう言って笑うと、恥ずかしさに顔を赤くする私の頭をぽんっと叩いた。
頭を触られただけなのに、私はどきどきして、更に顔を赤くする。
なぜ、こんな胸が高鳴るのだろう。
私は俯いたまま、黙り込んだ。
「どうかした?」
黙り込んだ私に佐助さんは少し首を傾げていた。
自分でもなんでこうなってしまうのか分からないから、彼の問いには答えられない。
私のなんとも言えない感情など関係ないかのように、お館様と幸村様の殴り合いの派手な音が響いていた。
フクロウが鳴く、月夜。なぜか私は眠れなかった。
何度か寝返りをうったが、眠れそうにないので蒲団から出る。
眠くなるまでと庭を何となく歩いていると、佐助さんを見つけた。
いつもの雰囲気じゃない。
聞き取れない低い声で何か言うと、さっと空気が動いた気がした。
私には見えなかったが、きっと佐助さんの部下が去ったのだと思う。
私に振り返った佐助さんは、初めて見る表情だった。
真剣な、そして少しだけ怖い表情。
きっと任務の途中だったんだろう。
私が居てはいけないところだったと思って、佐助さんに謝った。
「すいません。お仕事の邪魔しちゃって…。あの、なにも聞こえなかったので安心してください」
「んー?ちゃんの気配に気づいてたから大丈夫。気にしないでね」
そう言って佐助さんは、なんでもなかったようにいつもの笑顔を見せると立ち去った。
私は部屋に戻り蒲団に入ったが、一瞬だけ見せた佐助さんの表情が目の裏に焼き付いて中々眠れなかった。
いつも明るく笑ってる彼も素敵だが、さっきのような彼にも目を奪われてしまう。
任務や幸村様のお世話をして忙しいはずだけれど、ちょくちょく私に声をかけてくれる彼。
きっと、皆にそう接してるんだなと思うと、私は胸の奥の奥の方でチクッとした痛みを感じた。
その痛みが何なのかを考えたが、結局分からないまま朝をむかえてしまった。
久しぶりの休みだ。
休みといっても、特にする事もないので、城下町を歩いていた。
「こんにちは」
振り返ると、一人の若い男の人が立っていた。
誰だろう。
不思議そうに見ていると、その男の人が笑う。
「俺様俺様。分かんない?」
「佐助さん?!」
「ご名答!」
いつもの姿でなく、若衆姿だ。
髪も後で束ねているし、顔の染料もない。
「誰か分からなかった…。なにかお仕事ですか?」
彼は忍だから、町人に変装して任務を受けているのかもしれない。
そう思ったけれど佐助さんは、顔を横に振る。
「ううん。めずらしく今日はお休み。ちゃんは」
「私もお休みなんです」
「なら一緒に町回らない?休みって言われてもね、俺様する事なんかないんだよねー」
「はい。私も佐助さんと一緒なら嬉しいです」
そう言った私を、佐助さんは目を細めて見詰め返して来る。
私は彼を見ていられなくて、また俯いてしまう。
まただ、またおかしな気分になる。
胸の奥がぎゅっと締まって、どこか甘い気分になる。
そして切なさも感じる。
私は一体どうしたんだろう。
なぜ佐助さんといると、いつもおかしくなってしまうんだろう。
二人で歩いていると人だかりが見えた。
何だろうと私と佐助さんでその中に加わった。
若い男が机の上で1つの
逆さの湯のみは3つある。
それをくるくると右へ左へと入れ替えていく。
人だかりの中の一人が一つの湯のみの前に五文の銭を置いた。
男がその湯のみを持ち上げてみせる。そこには賽子はない。
ああ、なるほど賽子がどこに入ってるか当てるちょっとした賭け事をしてるようだ。
面白そうなので私も参加してみる。
賽子の入った湯のみを目追った。
右、中央、左、中央…。なんだ、簡単じゃない。
私は賽子が入っているはずの湯のみの前に五文置いた。
男はニヤッと笑いを浮かべて、その湯のみを持ち上げてみせた。
そこには賽子はなかった。
「ええ?!」
私は確かに賽子の入っている湯のみを目で追っていたのに!
佐助さんが隣でクスッと笑う。
「じゃあ、俺様もちょっと賭けてみようかなっと」
男は机の上で同じように賽子の入った湯のみと入っていない湯のみを入れ替えていく。
私は左に賽子が入ってると思ったのに、佐助さんは中央の湯のみに五文置く。
男が湯のみを持ち上げてみせると、佐助さんの置いた銭の所に賽子はあった。
「なんで?!絶対左だったでしょう?!」
不思議がる私に、佐助さんはクスクス笑っているだけだ。
男が佐助さんの賭けた銭の倍の十文を渡した。
「兄さん、もう一回勝負しないか?」
男が持ちかけるので、佐助さんは今度は十文賭けた。
またまた、佐助さんの勝ちだ。
ちゃんと見てるのに私が賽子が入ってると思う湯のみとは、絶対違う湯のみに賽子は入っているのだ。
わけが分からない。
そのまま、何度やっても佐助さんは間違えなかった。
賭けの親である男が少し機嫌が悪くなったようなので、私たちはその場を離れる。
「どうなってるの?何で私は当てられないんだろう?」
「ちゃんと見てないからだよ」
忍の目は、私なんかとは全然違うのだろうか。
佐助さんは儲けた銭を手の上でちゃらんと放り投げて、私に微笑んでから財布に入れた。
通りかかった小物屋で、色とりどりの
その中で、紅い瑠璃の珠がついた簪がとても素敵で、私はそれを手に取った。
日の光に輝く瑠璃の紅珠。細工自体も細やかでとても美しい。
こんな高価なものは武家のお嬢さんなんかがつけるのかな?
自分には絶対買える品物ではないけれど、見ているだけでも十分楽しい。
「それ、欲しいの?」
「欲しいけれど私のお給料じゃ買えませんから」
「買ってあげるよ」
「いいですいいです!とんでもない!」
「遠慮しないの。それに俺様金子使う事ないんだよね。欲しい物なんてないし」
そういって、佐助さんは店の主人に声をかけ、少し強引にその簪を買った。
包装もせずに受け取り、そして私に振り返る。
彼は私をじっと見つめて来る。
見つめられるだけで、ドキドキする。
佐助さんといるとちょっとした事で、私の気持ちは乱れてしまう。
なんで、こんなふうになっちゃうんだろう?
またその原因を考えるが、答えはでない。
心臓が高鳴って、痛い。
「あの…?」
「はい。動かないでね」
佐助さんは私の頭に手をまわして、今買ったばかりの簪を飾り付けてくれた。
「んー。やっぱ左に付けたほうがいいかなー?」
すぐ近くにある佐助さんの顔。
私は赤い顔を隠せないまま、目を泳がした。
胸が苦しくて、私は俯く。
簪を買った後、私たちは色んな店を冷やかしたり、お茶を飲んで休憩したりゆっくりと城下町を歩いた。
川を渡す橋の上で私たちは少し立ち止まった。
子供が笹で作った船を川に流して遊んでいるのを、見るともなく眺めていた。
もう日も傾いていて、夕日が川を照らす。
その時、佐助さんの表情がすっと変わった。
「ごめん。ちゃん。俺様お仕事だわ。またね」
そう言って佐助さんは、いきなり私の前から姿を消した。
何があったのか私には分からなかったが、何かに気づいて任務に戻ったのだろうか。
くつろいでいるように見えても、きっといつ何があってもいいように気を張りつめているというのがよく分かった。
もう少し彼と一緒にいたかったな…。
でも仕事ならしょうがない。
私は一人で橋の
その夜。私は佐助さんに買ってもらった紅い瑠璃珠のついた簪を、蒲団に入ったまま見ていた。
飄々と明るい顔をいつもしているが、さっき見せた真剣な顔。
佐助さんの事を考えると私は胸が締め付けられる。
彼の事ばかり考えてしまう。
そっか…。分かった。私は佐助さんが好きなんだ…。
いつの間に好きになってしまったんだろう。
ああ、きっと、最初の頃から彼に惹かれていたんだと思う。
今になってやっと恋心に気づく私はどれだけ鈍感なのだろう。
こんな気持ちを持っているなんて佐助さんに知れたらどうしよう?
私は簪をぎゅっと握る。
佐助さんが好き。
とってもとっても好きなんだ…。
最近、何か屋敷が忙しない。
仕事仲間に聞いてみると、戦が始まる事を知った。
私はすぐに佐助さんの事が心配になる。
佐助さんは忍だけれども、戦場でも活躍するらしい。
幸村様を護り、お館様の令に従い、その身を危険にさらす事になるのでは…。
それを想像すると、足の下から冷えるような恐ろしさを感じた。
私は急いで部屋に戻ると、裁縫箱を取り出した。
持っている一番上等な絹を探すと、針を持った。
戦の日。
幸村様の後をついて屋敷を出ようとしてる佐助さんを見つけて、私は駆け寄った。
「佐助さん!」
呼ばれた彼が振り返る。
少しいつもと違う雰囲気に思えるのは、これから戦に出るからだろうか。
私は握りしめていたお守りを佐助さんに差し出した。
「これ、お守りです。観音様が入ってます」
私はあまりにも心配で悲愴な顔をしていたのだろうか。
佐助さんは優しく笑うと、私の頭をぽんぽんっと叩いた。
「ありがとう。刺繍もしてくれたんだ?」
「お裁縫はあまり得意じゃないので少し不格好ですが……どうぞ、どうぞご無事で…」
「そんな心配そうにしないで。大丈夫大丈夫。ちゃんと戻ってくるから」
佐助さんはお守りを胸元に入れて、私に背を向けると幸村様の所へ戻った。
無事に帰ってきてほしい。
私は佐助さんが戦から戻るまで毎日毎日心配していた。
食も進まないし、眠りも浅い。
ああ、早く戻って来て欲しい。
そしていつものように、たわいのない話をして、笑いかけて欲しい。
彼の事を考えすぎて、ぼんやりしてて仕事中も注意が散漫になる。
佐助さんが、もし帰ってこなかったらどうしよう…。
彼は大丈夫だと言っていたけれど、勝てる戦だとしても最後まで勝敗は分からないものだと聞いた事がある。
大きな怪我などしていないだろうか?
私は佐助さんに貰った簪をぎゅっと握り、彼の無事を何度も何度も願った。
戦に勝利してお館様達が戻って来ると知らせが入った。
それを知った時、私は安堵してその場にへなへなと座り込んでしまった。
伝えが入って三日後、お館様が屋敷に入ってきた。
幸村様がそれに続き、佐助さんも一緒に帰ってきた。
私はすぐに駆け寄る。
「佐助さん!」
「ああ、ちゃん。たっだいまー」
「良かった!ご無事だったんですね!怪我はしてないですか?」
「うん。大丈夫大丈夫」
私はほっと安心して、身体の力を抜いた。
しかし彼をよく見ると、泥だらけの服の一部が破れている。
かすかに血の匂いもした。
破れた服の間から赤い色が見える。
「佐助さん!怪我……っっ!してるじゃないですか!」
「大丈夫だって。こんなの怪我のうちに入んないよ。舐めておけば治る治る」
「だめです。ちゃんと治療しないと!」
私は佐助さんをひっぱって部屋に入った。
薬箱を取り出して、佐助さんに服を脱ぐように言った。
佐助さんは少し困った顔をしたが、やれやれというように、面頬と取ると
私は大きくドキッとする。
怪我の事を気にしすぎて、何も考えてなかったのだ。
上半身だけだとしても肌を見てしまう事になった。
細いとは思っていたけれど、無駄な肉を極限まで削った筋肉質な身体だった。
そしてあちこちに打撲の跡や、血の滲んだ傷があった。
小さい傷も大きな傷もどれも致命傷にはならないものだけれど、戦というものの激しさをかいま見た気がした。
私はあまり佐助さんの身体を見ないように、薬箱をあけて、清めの水にしたした清潔な布を絞る。
恥ずかしいから彼の傷だけに集中する。
そんな私をなぜか彼はじっと見てくるから、余計に恥ずかしい。
顔を赤くしながらも傷を清め、薬を塗りこんだ。
薬を染込ませた当て布や、それじゃ間に合わない傷にはさらしをきつめに巻いた。
治療をあらかた終えて、薬箱を片付け何となく見ると、佐助さんが脱いだ服のそばに、私が渡したお守りがあった。
戦中ずっと持っててくれたんだ。
嬉しくなってそれを見ていると、佐助さんが言った。
「ちゃんのお守りのおかげで、結構危険な任務も無事に完了できたよ」
ただのお世辞かもしれないけれど、彼の声色はとても優しくて、私は彼の言葉にじんっと心が暖かくなる。
お守りの効き目なんてないかもしれない。
でもそのお守りは私が神社に行って手に入れて、思いを込めて刺繍したものだから、少しは佐助さんを守ってくれたのかな。
彼は治療を終えると、身なりを整え、そして私が渡したお守りを胸元に入れる。
「これからも、大切にするね」
「佐助さん…」
私が感動していると、佐助さんは少し笑顔を見せて部屋を出て行った。
ずっと持っててくれるんだ…。
嬉しい。なんて嬉しいんだろう。
佐助さんは優しくて、格好良くて、私が好きになってしまうのも当然だと今なら分かる。
私は顔がにやついてしまって、中々仕事に戻れなかった。
「ひとなげ ふたなげ みなげ よなげー…」
のどかな午後。
私がお手玉をしていると、ひとつのお手玉が私の手に落ちずにあさっての方向に飛んで行ってしまった。
すっと現れた佐助さんがそれを拾う。
彼はいつも唐突に私の前に現れるから、少し驚いてしまう。
「ちゃん、休憩中?」
「はい。暇だから遊んでたんです。でも私不器用で」
くすっと笑うと、佐助さんは私が持っていたお手玉とかたわらに置いていたお手玉をいくつか取る。
「はいはいはいっと!」
数十個のお手玉を大きく上に下に背中に前にと、ポンポン投げては受け止める佐助さん。
私は目を大きくしてから、凄い凄いと手をたたいてはしゃいだ。
「佐助さんって本当になんでもできるんですね!」
「そうそう、俺様って万能だからね?真田の旦那の団子の手配から偵察までなんでも来いって」
佐助さんは、おどけて両腕を大きく広げて見せる。
くすっと私は笑った後に、ふっと想像がよぎった。
忍の任務には色々とある、一度佐助さんの武器を見せてもらったけど、到底素人が扱える物ではなかった。
こんな物で戦っているのかと、私は目を大きくさせた事がある。
特に佐助さんは忍の頭だ 屋敷にいても少しの異変に気づけるよう神経を尖らせていたり、部下に指令を出したり、戦場の状況を確かめるのに、本陣から戦前に入り込んだり、同盟国とのやり取りの書を届けたり、任務中に適地で怪我を負って自分で見つけた薬草で
彼が言う通り本当に万能なのだろう。
お手玉なんて本当に簡単な遊びなんだ。
その時、私はビクリと身体を
忍びの任務………暗殺。
お館様に令を言い渡され、暗い夜に月の光を背にして、眠っている誰かの首に刀を当てる…。
そんな佐助さんを想像してしまった。
私は思わず黙り込む。
佐助さんが音も立てずに私の隣に座った。
二人の間で沈黙が落ちる。
先に言葉を発したのは佐助さんだった。
「戦の世だろ。民はいつも怯えて暮らしてる。真田の旦那やお館様も戦をして。こんな血生臭い生き方してるとね。殺伐として自分がよく分からなくなる時があるんだ」
唐突の言葉に、私はどう言葉を返せばいいか迷う。
「大変なお仕事、なんですね…」
「俺様さ、ちゃんといると、ほっとするんだよね」
「私とですか?」
「うん、なんか、ここのところが優しい気持ちになる」
佐助さんは自分の胸に手を当てて、にこっと笑った。
「ちゃん」
「はい?」
「俺様が怖い?」
「え……?」
「忍の任務……暗殺の事、想像したでしょ?」
「あ…の……」
「いいよ。分かってる。俺様達はそういう世界にいるんだ。怖がられて当たり前だよな」
佐助さんは、少し自嘲気味に笑う。
私はそんな佐助さんを見たくなかった。
だから必至に言葉を探して言った。
「怖くありません!戦で人の命を奪うのも、任務をこなすのも、この世をまとめて平和にする為でしょう?それに私だって、動物を、植物の命を奪って命をつなげているんです。私も佐助さんも一緒です」
佐助さんは目を大きくしてから、苦しそうに笑った。
「ねぇ、ちゃん」
「はい?」
「抱きしめていい?」
何を言われたか分からなくて、私は答えられなかった。
「はい、時間切れー」
佐助さんは私をぎゅっと抱きしめた。
私はどうしていいか分からずに、されるがままに抱きしめられていると佐助さんが言った。
「俺様達忍はね。物なんだよ。物だから感情を持っちゃいけない。自分の生き様を嘆いちゃいけない。人に戻るなんて一流の忍じゃないんだ。なのに、時々苦しくてどうしても人に戻りそうになる」
「佐助さん…」
「情けない話だろ?」
「忍であっても人は人です!生きているのだから物じゃありません!いいじゃないですか!いつもいつも感情を殺さなくても!!」
私は思わず声を大きくさせてしまった。
佐助さんが少し身を震わせたのが伝わる。
「佐助さんは、一流の忍だと思います。人に戻りたい時はの所に来て下さい。大丈夫、絶対誰にも言いません」
「ちゃんの所に?」
「だから…。だから私の前だけでも人でいてください」
「ちゃんは、本当にいい子だね……なら、ずっとさ…」
佐助さんは、抑えた低い声で少し間をあけてから言った。
「俺の傍にいてくれるか?」
これが佐助さんの感情を出した時の声なんだろうか。
私は胸をぎゅうっと、締め付けられる。
「……ずっと傍にいます。は……は佐助さんが好きですから」
私は自分の気持ちを抑える事さえ忘れて、ずっと言えずにいた想いを、自分の恋心を言葉にしてしまった。
どう思われたのだろうか。
困らせたかもしれない。
でも佐助さんは何も言わずにただ抱きしめる腕の力を強めた。
想いはきっと、彼にちゃんと伝わったのだろう。私も佐助さんの背中に腕を回して抱きしめ返した。
ふっと佐助さんが短く息を吐く。
彼は何も言わなかったけど、こうやって抱きしめていてくれるのが私への返事なんだ。
私は鈍感だけど、それだけは分かった。
ねえ、お願い。心を殺したままでいないでください。
私は佐助さんの傍にいますから。ずっとこうして寄り添っていますから。
貴方が物なんかじゃなく、人でいられるように……。